時間・場所 二〇〇五年 秋 午後三時
献血ルームの控室
男１が雑誌を読んでいるところに男３が入って来る。男３はやや落ち着かない様子。
遠くで飛行機の飛ぶ音。それぞれ気にする二人。
○男１と男３による即興。モチーフは以下の通り。
① 男１は何度も献血の経験があること。
② 男３は初めての献血であること。
③ 控室にはお茶のセルフサービスがあり、そのお茶がいつも薄いこと。
④ すぐ近くに軍事演習場があること。
⑤ どこかで戦争が起きているらしいこと。
男１と男３の会話がぎこちなく続く中、二人の性格が少しずつ見えてくるようになる。
二人がやや打ち解けてきたあたりで……
下手奥の献血ルームから看護婦の叫び声
声１ ちょっと、しっかりして下さい。先生呼んできて。
声２ はい。……先生いません。
声１ なに慌ててるの、先生は下でしょ、下。
声２ はい。
看護婦２が男１と３のいる控室の裏を慌ただしく通り過ぎる。
声１ 大丈夫ですか。
看護婦２がものすごい勢いで戻ってくる。
声２ 先生、なんかお昼食べる時間なかったらしくて、今頃ご飯食べにいってるそうです。
声１ 何ですって、しょうがないわね、手、貸して。
声２ はい。
声１ ちゃんと脚持って！
声２ はい、すみません
声１ あなた、電話して、先生のいきそうな処。
声２ ライライケンかしら。
声１ そんなこといいから。
声２ はい、すいません。
裏の階段らしい処を降りていく足音が聞こえたかと思うと、急に静かになって
男３ なんですか、あれ……（ビビって）
男１ よくあるの…自分の血見て貧血起こすやつ。
男３ 脅かさないで下さい。
男１ 本当なんだから。
沈黙
男３ 静かですね。
男１ ああ。
男３ どうしたんでしょう
男１ さあ。
男３ 死んじゃったんでしょうか。
男１ 誰が…
男３ だからさっきの…
男１ まさか……………こっちは急いでるのに。
男３ さあ。
男１ あんたは急いでないの？
男３ はあ、早く終わらせたいなと。
男１ ちょっと聞いてきて。
男３ 何をですか。
男１ だからどうなってんのか。
男３ 僕がですか。
男１ そう、早く聞いてきてよ、急いでるんでしょう？。
男３ きょうは休みなんです。
男１ 学校？
男３ 学生に見えますか…僕…
男１ 違うの…
男３ あたってるけど違います。
男１ どういうこと？
男３ 秘密です。
男１ 下らないこと言ってないで、中の様子、見てきてよ。
男３ わかりました。
忍び足で近づいて、戸を開いて
男３ 誰もいません。
男１ そんなはずないじゃない。
男３ 本当ですよ。
男１ どれ……
男３ ね。
男１ うん。
男３ でしょ。
男１ ああ。
男３ ほら…
男１ むむ……
男３ 困ったなあ。
男１ そう。
男３ おじさん…
男１ 気安いやつだな。
男３ おじさんはどうして献血なんてするんですか。
男１ 見るか。
男３ 何です。（献血手帳を見せられて）すごい…
男１ あと一つでな、ハワイに行けるんだ。
男３ ハワイ？……移住でもするんですか。
男１ まだ決めた訳じゃないが……どうしたの？ 気分でも悪いの？
男３ いえ……
男１ 並大抵の苦労じゃなかったよ。女房も今頃、坂の下演習場の近くで、献血してるの。
男３ 六百ですか。（不機嫌に）
男１ 当然だよ。いまどき四百ＣＣの人はいないでしょう。
男３ いますよ、ここに。
男１ あんた、四百しか採らないの？
男３ ええ……悪いですか。
男１ 情けないねえ。お国のためでしょ？
男３ ハワイへ移住する人に言われたくないですね。
男１ お国のためですよ、幸せになることが。どんどん行ってるじゃないですか。ハワイ…
男３ そうです……ね……
男１ ああ、わかった…怖いんでしょう、六百も採っちゃうのが…ふっとい針で、ドクドクドクだからねえ。
男３ そういうことにしといて下さい。怖いのは怖いんだから。
男１ あなたもハワイに来なさいよ。そうだねえ、六百ＣＣ献血で、君は何歳？
男３ 十八です。
男１ まだ若いな。あと十五年はかかるなあ、早いとこ結婚して、奥さんと一緒に励むといいよ。
そこへ男２が入ってくる。大きな鞄を持って入ってくる。
男２ 空いてる？。
男３ ここ、どうぞ。
男２ どうも…吸ってもいいですか？
男１ ここは禁煙なの……これから血採る人が何でタバコ吸っていいの？
男２ あっそう。……こんでるねえ。時間かかりますかね。
男３ いないんですよ…誰も。
男２ 何が…
男３ だから、誰もいないんです。
男２ いるじゃない、三人も。
男３ そうじゃなくて、中に、誰もいないんです。
男２ じゃあ、あんたら早く血採ってきたら、ん、なに？
男１ ああああわかんねえおやじさんだなあ、もう。看護婦さんがいないって言ってんの。
男２ あっそう…そりゃ困ったね。
男１ あんたが悪いんだよ、もたもたして余計なこと言うから。
男３ すみません。
男１ あやまんなくていいよ、もう、じれったい。
男２ なに怒ってんの。
男１ もうすぐハワイなんですよ。それなのにいつまで待たせるんだ畜生。
男２ ハワイ？ ああ、ハワイ、あんたもハワイ、行くの？ 血採って。
男３ 違います。
男２ じゃあ？
男３ 就職なんです。だから血を採って…手帳を出さなきゃないんです。面接のときに。
男２ ああ……なにいらいらしてるの？
男１ だって、いないんだよ、看護婦……
男２ 土曜の午後だからね、人手足りないんだよ。
男１ もう…ちょっと、見て来る。
男２ ああ…
男１上手から出ていく。
マガジンラックから雑誌を取り出して読み始める男２
やはり落ち着かない男３
男２ 外、雨でしたよ。
男３ そうですか。
男２ 傘、持ってきてないでしょ。
男３ え？
男２ 傘立てに、傘一本もなかったから。
男３ ああ。
男２ ね、当たったでしょ。
男３ はい、そんなに降ってるんですか。傘がいるくらい。
男２ うん…そうね…
男３ 窓、ないんですね、この部屋。
男２ この辺りはどこもないよ、窓なんか。
男３ そうですか。
男２ でもほら、静かにしてると、聞こえるじゃないですか、雨の音、ほら。
男３ 聞こえますか？
男２ 聞こえるよ。
砲弾の音が混じる。
男２ 聞こえたね。
男３ 聞こえました。
男２ 今のはＭＳⅡ型だな。
男３ 詳しいんですね。
男２ なに、地元だからね。
再び着弾音
男３ 揺れませんね。
男２ え？
男３ 震動ですよ、あってもいいじゃないですか。
男２ あの日以来、全部耐震構造になったでしょ。
男３ ああ、そうでした。こんなところで役に立ってるんだ。
男２ 結局は人災だからね。
男３ そうですか。
男２ ……あんた、見かけないね。
男３ 通りがかりにちょっと。
男２ こんなところで……献血？ 珍しいねえ、あんた学生だろ。
男３ 来春就職なんです。
男２ それで献血を。
男３ ええ、三月までに千ＣＣは献血しないと駄目だって。
男２ それじゃ急がないと。
男３ ええ、きょう四百採って、三ヶ月後に、今度は六百採らないと、間に合わないんです。
男２ だったらきょう六百とっといた方がいいよ。
男３ どうしてですか。
男２ だって楽じゃない、気分的に。
男３ それはそうなんですけど。
男２ あんた、好きなもの最後に残すほう、最初に食べるほう？
男３ 最後に食べます。いや、最後のちょっと前くらいに、おなかが一杯にならない頃合いに、ひょいと…
男２ おいしいよね。
男３ おいしいですよね。
男２ やっぱり、ウズラだよね。
男３ なんですか？
男２ 最後に残す食べ物。正確に言うと、最後のちょっと前くらいにひょいとつまむと…くー、涎出てきた。
男３ そうですか。
男２ なに、そうじゃないっていうの？
男３ そんな話してるんじゃありません。
男２ あっそ。
男３ 血ですよ、献血、いや、注射の話してたんだ。
男２ わかってるよ、だから、きょう六百採らないと駄目だって話。
男３ 関係あるんですか。
男２ あるよ。だって同じじゃない。好きなもの最後に残すのと。四百ＣＣ、好きなんでしょ？
男３ 別に好きじゃありません。だって、それとこれとは話が全然違うじゃないですか。
男２ そうかな。
男３ そうですよ。どうして、好きな食べ物と四百ＣＣ献血が同じなんですか。
男２ だから、この場合どちらを後回しにするかという点で、実に全く同じじゃないですか。
男３ こっちは真剣なんですから……からかわないで下さい。
男２ まあまあ、こんなことで興奮しないで。ミカンでも食べて…あれ、ないなあ。いつもはあるのに。
男３ すいません。どうも、注射は嫌いで、子どもの頃から、それで…つい。すみません。
男２ いいからいいから。
男３ こんなでかいなりしておかしいかもしれませんけど、本当なんです。別に六百採るのが嫌だからじゃないんです。
男２ わかったから、わかったから……あんた、じゃあ？
男３ 志願したんです。
男２ 入隊ですか。
男３ それで献血が必要なんです。
男２ 千ＣＣでいいの、入隊は。
男３ はい、千ＣＣです。
男２ ふーん。
男３ 何か？
男２ 嫌、ちょっと少ないんじゃないかと思って。
男３ そうでしょうか。
男２ 血は不足してるんでしょ？ こんな田舎の村にまで献血ルームができるくらいだから。ハワイ移住の懸賞まで出してですよ。男３ それはそうですけど。
男２ さっきのやつ。
男３ ええ。
男２ 嫌なやつでしょ。
男３ さあ、まだ会って間もないから。
男２ ハワイハワイって、なに村の役場に勤めてるんですがね、公務員のくせに国を見捨ててハワイ行こうってんだから……あんなやつが美人の奥さんもらったりするから、こんなことになるんだよねえ。このご時世にハワイだなんてねえ。
男３ 奥さんも献血してるって、言ってました。なにやら二つ合わせてようやくゴールだとか。
男２ 来てないじゃない。
男３ 坂の下の献血ルームだそうです。
男２ はあ、お盛んなこって……どうせ合わせんなら、もっと別のもん合わせりゃいいのにね…ククッ。
男１戻ってきて
男１ あんたまだいたの？
男２ 失礼な。
男１ また変な物売りつけないでよ。献血した上に金まで取られちゃあ、たまったもんじゃねえ。
男３ あれ、知り合いなんですか、あなた達。
男２ 会いたくもないが、狭い村だからねえ。
男１ こっちだってごめんだよ。
男３ 看護婦さん、いないんですか。
男１ いねえよ……何時だい？
男２ 時計があるよ。
男１ こいつは止まってるの。
男３ 三時半です。
男１ おいおい頼むよ、時間ないんだから。
男２ 何かあったの。
男３ 一人倒れたらしいんです。貧血で。
男２ ああ、それで、それでいないの、看護婦さん。そりゃあ困ったね。
男１ ちょっと、探してきて。あんた、急いでるんでしょ。
男３ ぼくは、あ、はい。
男２ 自分で探してきなさいよ。
男１ 今行って来たばかりなんだから、今度はあんたの番だよ。
男３ 僕ですか。
男１ そう。
男２ あなた、こんな男の言うこと聞かなくていいよ。
男１ 黙ってろよ。
男３ 行って来ます、僕行って来ますから、喧嘩しないで下さい。そうでなくとも僕はもう限界なんだから。探してきますよ。そう、今 日中に血を採らないと、二回目の献血が四月になってしまうんだ。間に合わないんですよ。
男３興奮しながら出て行く。しかしすぐ平身で戻ってきて、
男３ あのー
男１ なに！
男３ どこにあるんですか。
男１ 何が！
男３ あの、その…
男１ なに！！
男３ ライライケン……
男１ 君、腹でも減ってるの？
男３ そうじゃなくて、だからここの先生ライライケンだって、さっき看護婦さん、言ってたようだったから、そこへ行ってみようかと思っただけで。
男１ ああ、そう。出て右。二分。赤い暖簾、すぐわかるよ。
男３ 行って来ます。
男１ 頼むよ。
男３ 出ていく
男２ 相変わらずだねあんたも。
男１ ふん。
男２ あと二つですか？
男１ あんたには関係ないだろ。
男２ がんばったもんねえ。
男１ あんたに誉められてもしょうがねえよ。
男２ どう、いいのが入ってるよ。
男１ いらねえよ、ハワイに行けばどうせ使えねえんだから。
男２ そりゃそうだけどさ、子どもがおっきくなったら、ねえ、買っといたほうが、いいんじゃない。あっちじゃ手に入らない代物だよ。男１ 息子は息子、勝手にするさ。
男２ なんだい、人がかわっちまったね。そんなにハワイ行きたいかい。血売って、ふらふらになってまでさ。
男１ お国のためだよ。血売ってだなんて人聞きの悪い。あんただって、偉そうなこと言えんだろう。やばいもん売り歩いて。
男２ 特権なんだから、何でも利用しないとね、生きていけないよ……どの辺りにすむんだい？
男１ オアフ島の西岸だよ。眺めのいいところだ、そこにベランダ付きの家を建てる。
男２ 夢がないんじゃない、意外と。
男１ 何を言ってる。嫁さんと二人で、ああ、あこがれのハワイ…うーん。
男２ 嫁さん、浮気でもしてんじゃねえか。移住の条件は辞職だろ？ 体のいいリストラだって噂もあるよ。
男１ うるさい、うるさいうるさいうるさい！……そんなことより美由紀ちゃんどうしてる。
男２ なんだよいきなり。
男１ 聞きたいんだよ。
男２ ……逃げた。
男１ そうかい、やっぱり。
男２ やっぱり？
男１ 家にいないじゃない、いっつも。
男２ 何で知ってるの。
男１ニヤニヤして
男２ 覗いたな。
男１ 狭い村だよ、他に楽しみないじゃない。
男２ ふん……
男１ で、どこ行っちゃったの？
男２ ……隣町に大きなリゾート、できたでしょ。
男１ ああ。
男２ あそこの社長知ってる？
男１ 知らないよ。
男２ 植田だよ、植田。
男１ ウエダって？
男２ いただろう同じクラスに。
男１ ああ、あんたが転校してきたときに。
男２ そう。
男１ お漏らししてフルチンになったやつ。
男２ 安田先生に拭いてもらって、ほら、ククッ
男１ あいつでかかったよなあ、小学生にしちゃあ。
男２ ますます大きくなって、安田先生真っ赤になって、クウー
男１ ははははは、植田かあ。……なんだって、あいつが社長？
男２ そう。
男１ それで？ 美由紀ちゃんとどう関係あんの？
男２ あいつのデカマラ、よっぽどよかったんだろうなあ。
男１ いっちまったのか、あいつのとこ。
男２ ああ。あっちは社長だからな、それに、デカイし。
男１ ははははは
男２ ははははは
男１ 要するに浮気はあんたのとこの話って訳ね。
男２ そういうこと。
男１ 見せろよ。
男２ なんだよこんなところで、いくら女房に逃げられたからって、そっちの趣味はねえぞ。
男１ 急に見たくなったんだよ、新しいの入ったんだろ？
男２ ああ、ああ、なんだ、（ゆっくり鞄を開けようとして）買うのか？
男１ 俺には必要ないがな。
男２ まだわからんじゃないか。
男１ どういうことだ。
男２ ハワイに行けないってことだよ。
男１ そんな、ばかげてる。五年もかかったんだぞ。
男２ 今日は献血は無理だよ。あと一時間しかない。
男１時計を見上げて、
男１ 何言ってる、まだ二時間……
男２ これ止まってんの……はい時計（腕時計を見せて）
男１ おい、ちょっと待てよ。そんことがあっていいものか。……そうだ、あいつ何やってんだ、遅すぎるぞ、ちょっと見てくる。
男１慌ただしく出ていく。
男２鞄を開ける。銃らしきものを眺めたり、磨いたりしている。
そこへ、 女１が入ってくる。慌てて銃を隠す男２
女１ ……
男２ ……
しばらくの間沈黙が続く。一種不穏な空気が流れるが、何かを予感させるわけではない。ただ、お互いがお互いを意識し合っているかいないかが微妙に交錯する感じである。
女１ 受付されましたか。
男２ もちろん。
女１ いなかったんですよ。だれも……
男２ 下ですか。
女１ ええ。
男２ 雨は上がりましたか。
女１ いや、まだ少し降ってます。
男２ そうですか。……じゃあ、下で血採ってないんですね。
女１ ええ、誰もいませんでしたから、変だと思って、とりあえず直接来てみたんですけど…お休みかしら。
男２ そうではないようです。
女１ え？
男２ 私は下で、血、採りましたから……ちょっと汚れてますね、って五十くらいの看護婦が気持ち悪そうに言いましたよ、間違いありません、ほら、針の痕。
女１ 結構よ。
男２ いないらしいんです。だれも…何かトラブル、あったらしくて。
女１ そう……困ったわ。
男２ 献血なんて、いつでもできるじゃないですか。
女１ 決めてたんです。今日献血するって……みんなにも約束してしまって。
男２ みんな？
女１ 職場の仲間です。
男２ 妙な話ですね。
女１ あたしだけだったもんですから、手帳、持ってないの。職場にいづらくて…
男２ そうでしたか。大変ですね。今日は、無理かもしれませんよ。……そうだ、坂の下でも献血してますよ、急ぐなら、そっちにいらっしゃい。
女１ あら、さっき寄ってきたわ、そしたらきょうは休業だって……
男２ え？ おかしいな……
女１ 女房？ どうかしましたか。
男２ あ、いえね、いや、なんでもないです。
女１ あなたは、帰らないんですか。
男２ どういうことですか。
女１ だって、今日献血できないっていうのに、あんまりのんびりしてるから。
男２ 私はいつでもいいんですよ。私は、もちろん献血もしますけど、それが本当の目的じゃないですから。
女１ そうですか。なんか面倒くさそうですね。
男２ 実際、面倒くさいんです。今にやってきますよ、もっと面倒くさい連中が……
女１ え？
男２ ……いやね、いるんですよ、面倒くさいのが。ハワイハワイって……ほら、懸賞が出てるでしょう、献血してハワイに行こうって、あれで、夫婦であと二つってやつが、今日来てるんですよ。いや、奥さんの方はね、どうやら坂の下の方に行ってるらしいんですがね、だから、ほらあなたがさっき、休みだっていって、おかしいなって……
女１が迷惑そうにしているのに気づいて、
ちょっと長い間
女１ あの、献血は何度も？
男２ ええ、いろいろ役立ちますからね。この間なんか、ガソリンが割引になりましたよ。二百ＣＣで一ポイント。六百を三回だから九ポイント。連続だったので一ポイントサービスで、十ポイント。十あると、いろんなところで優遇されます。うちは八十越えた婆さんいますから、ポイントのお陰で、介護者が毎週来るようになってるんです。すごいでしょ。
女１ 血が不足してるんですか。
男２ 前線は大変みたいですから。今日も演習やってるでしょう、見ましたか。
女１ いえ、音がうるさくて……
男２ そうですね。
女１ どうして一気にやってしまわないんでしょう。
男２ 核ですか？
女１ はい……どうせならひと思いに。
男２ 戦うのが好きなんですよ。ボタン一つじゃ、戦ったって実感がない。人間も動物ですからね。敵の血を見ることできっと興奮するんです。それがないと、戦ってるって感じがしないんですよ。
女１ そういうもんでしょうか。
男２ そうだと思います。私の息子もいま戦ってるんです。そのためにも、せっせと献血しないと。私の役目ですよ。
女１ 大丈夫でしょうか。
男２ 勝ち負けなんてどうでもいい時代ですから、血さえたくさんあれば大丈夫なんですよ。
女１ そうじゃなくて、献血です。
男２ ああ……看護婦さん、もうすぐ戻ってくると思います。いやね、誰か貧血で倒れたらしいんですよ、ほら、いまはどこも６００ＣＣ献血でしょう？ あのせいで貧血で倒れる人、増えてるらしいですよ、あなたも気をつけないと……………なにか？
女１ あのー大丈夫でしょうか……
男２ はあ？
女１ …きょうは、ちょっと、出血がひどいんです。
男２ ああ……
女１ こんな日に血採っても大丈夫なんでしょうか。
男２ 詳しいことは知りませんが、生理中はまずいですよ……ふつうは。
女１ そうですかやっぱり。
男２ ちょうどいいじゃないですか、きょうは無理かもしれないし、別の日になさい。
女１ 今日じゃないと、今日じゃないと駄目なんです。約束なんです。
男２ つまらない約束したもんですねえ。
女１ 圧力がすごいんです。給料削るとまで言われて。
男３戻ってくる。
男２ やあ…
男３ ああ…
男２ どう……
男３ それがですね……
男２ ちょっと……トイレ……
男３と女１ 不気味な沈黙、互いに視線を交わす。
男２ すぐ戻ってきて。
男３ ずいぶん早いですね。
男２ なんかね、戸が開かないんだ。。
男３ え？
男２ 君、力ありそうだから、ね、ちょっと頼むよ。
男２と男３出ていく
一人取り残される女１
男２の鞄が少し開いているのを見つける。おそるおそる中をみる女１
鞄の中から、銃が出てくる。慌ててしまう女１
男３ だからそんなはずないって言ったでしょう。
男２ すまんすまん。
男３ あれ、戻って来ちゃっていいんですか。
男２ うん、なんか引っ込んじまった。
男３ 汚いなあ。
男２ どうかしましたか。
女１ いえ、ちょっと。
男２ そうだ、これ、トイレに忘れませんでしたか。（携帯電話）
女１ あ、（ハンドバッグを探して）すいません、私のです。
男２ よかった。
男３ 知り合いですか。
男２ うん、たった今ね。
男３ 献血ですか。
女１ （嫌そうに）ええ。
男３ 駄目です、どこにもいません。ついでに、ライライケンで、ラーメン食ってきました。ははは。
男２ 急に明るくなったね、どうしたの、いったい。男３ なんか、きょう献血しなくてもいいんじゃないかって予感がして、そしたら、楽になっちゃったんです。
男２ そう、気楽でいいね、あんたは……ところで雨降ってた？
男３ 上がってました。
男２ そう、で、あいつは？
男３ あいつって？
男２ あいつだよ、あのハワイ野郎。
男３ 知りません。
男２ 変だなあ……君のこと探しに行ったんだよ、ライライケンで会わなかった？
男３ 見てません…お店空いてましたから、僕の後には誰も。
男２ そう……
男３ 僕帰ろうと思うんですが。
男２ どうして。
男３ きょうは採血、ないみたいだし。
男２ あなた下で検査したんでしょ。駄目だよ勝手なことやっちゃ。
男３ そうですか。駄目ですか。
男２ ちゃんとお医者さんの指示に従わなきゃ。血は毎日不足してるんだから、あんただって、入隊したら、ここで採った血に世話になるかもしれないんだよ。
男３ わかってますけど……時間の無駄じゃないかと思って。
女１ あなた、入隊するの？
男３ はい、そのために血を採りに来たんです。千ＣＣ採らないと、入隊できないんです。
女１ 入隊なんかして、どうするの？
男３ 僕、守るものがなにもないですから、せめて国の役に立てればと思って。
女１ 愚かね。
男３ そうですか？
女１ いつの時代も、男は格好ばっかり。
男３ 初めてあった人に、そんなこと言われたくないな。
男２ まあまあ、あんたもさっきから興奮しすぎだよ。ミカンでも食べ…そういやあないなあ、みかん。
女１ ミカン？
男２ そう、ミカン。
女１ ミカン、あるんですか、いつもは。
男２ ほら、献血すると、いろいろもらえるじゃないですか。タオルだったり、牛乳だったり……ここはミカンなんですよ。それも、ふつうは献血した後にいろいろ貰えるんですけどね、ここは、献血する前から、自由に食べていいんですよ。おかしいなあ。あれが楽しみだったのに。
女１ お茶ならありますよ。
男２ 薄いんですよ、血に影響するんですかねえ、お茶も…濃いと……
男３ 何言ってる……なに下らないこと言ってる……あー！
男２ どうしたの？
男３ いえ、独り言です。
男２ 迷惑だよ、大きな声で…
男３ すいません、体のどこかが、取り乱れてるみたいなんです。
男２ はあ…
女１ お茶でも召し上がったら。
男３ いらん、そんなものいらん！
男２ だから声が大きいって……
男３ 気にしないでください。
男２ 気になるよ！
男３ すいません……ちょっと興奮してしまって……お茶、ご馳走になります。
女１ ああ……どうぞ……あなた、怒ったの？
男３ え？
女１ さっき、入隊を批判するようなこと言ったから。
男３ いえ、関係ありません。何でもありませんから……
女１ いえ怒ったんだわ。あたしが愚かだなんて言ったりしたから。
男３ 愚か？ そんなこと言ったんですか。
女１ いえ、それは…
男３ 愚かですか、僕……
女１ そういう意味じゃありません。あなたのことじゃなくて、そういう風な雰囲気全体というか、そういうものが少し愚かかなあって。男２ そうですよね。今の時代に、わざわざ戦おうなんて。それも、他の国のためですからね、なおさらですよ。
女１ 激戦地は？。
男２ 南アメリカです。日本はアメリカの南下政策に反対して、アルゼンチンに兵を送っています。
女１ 愚かよ、やっぱり。
男２ あなた、何か……。
女１ いえ、そうではなくて…
男２ 余計なこと聞きましたかね。
女１ いいんです。知り合いがちょっと、南米で命を落としたものですから。
男２ お気の毒です。
男３ アルゼンチンですか。
女１ ええ、……その話はやめましょう。
男２ 折角献血しても、役に立たないこともあるんだよねえ。心臓ぶち抜かれちゃえば、おしまいだからねえ、あ、は、っは……ごめんなさい。
男３ 兵隊の数は減ってるんですから、やはり献血は必要です。
男２ 注射、怖いんじゃなかったの？
男３ それとこれとは……別です。
女１ あなた注射嫌いなの。
男３ いえ、それは…
女１ 女も嫌いでしょ。おぼっちゃん！
男３ 失礼な。
男２ 怒るなよ、また興奮しますよ。
男３ お茶、いただきます。
女１ はい。
男３ すいません。
男２ あの人、遅いねえ。それにしても、どうなっちゃってるんだろうねえ。献血の方は……
男３ 僕、見てきますか。
男２ もういいよ。
男３ そうですか。
女１ はい、お茶。いい飲みっぷりね。
男３ からかわないで下さい。……恋人ですか？
女１ え？
男３ アルゼンチンで死んだ、知り合いの人。
男２ あんまり立ち入ったこと聞くんじゃないよ。
女１ いいんです……ええ、そうよ。子どももいたの、けど流産したわ。
男３ すいません、そういうつもりじゃあ。
女１ いいのよ。あいつがバカなのよ。ボランティア協会で、二度も表彰されて、いい気になって。人のためになんてまったくウソで、自己満足の塊。……ごめんなさい、ちょっとしゃべり過ぎね。あなたが入隊するなんて言うから、思い出しちゃって、ごめんなさい。
前触れもなく、女２が入ってくる。
女２ あのー
男３ ○あ！
男２ ○あ、今日はやってませんよ。
女２ （男３をじっと見つめて）そうですか。（慌てて帰っていく）
男３ そ、そんなこと勝手に言わないで下さいよ。
男２ だってやってないのは事実じゃない。
男３ あなた、下で血採ったじゃないですか。ということは、ここは今日やってるんですよ。
男２ なんだよ、さっきは帰るって言ってた人が。どうでもいいじゃない、献血者の一人くらい。
男３ 連れてきます。
男２ 余計なことしなくていいよ、おい、オーイ
女１ 行っちゃいましたね。
男２ 行っちゃいました。
女１ いい青年じゃないですか。
男２ 別に知り合いじゃない。
女１ 何かに必死になれるなんてすばらしいわ。
男２ はははははは……たかが女を追っかけていくことにですか。
女１ 女を追っかけていくとき、あなた必死じゃなかった？
男２ それは……しかし結局は…
女１ 結局は？
男２ 去っていきましたから。
女１ それで冷めてるのね。
男２ 冷めてるのはあなたの方でしょう。
女１ そうね……冷めてるかもしれない。追っかけるものがなくなったわ。結局、会社の周りの目が気になって、自分の意志とは関係なく、こんな処に来てる。冷めてるわよね。
男２ そんなに好きだったんですか。
女１ そうね……一途なところが……ちょうどさっきの青年のようだった。
男２ そういうやつが戦場では弱いんですよ。やっぱり何事もぐうたらが一番、そうは思いませんか…
そこへ男３と女２が入ってくる。
男３ 連れてきました。この人、きょう二十歳の献血なんです。それに、ちょっと知ってるんです、この人
女１ ちょっと…？ フフ……
男２ きょうは無理だよ。帰りな帰りな。ここは四人しか座れないんだから。
男３ 四人でちょうどじゃないですか。
男２ いるだろう、ほれ、あの面倒くさいのが、帰って来るぞ、ハワイハワイって。
男３ その時はその時ですよ。
女２ あのーあたし、別に今日じゃなくてもいいんで、お取り込みのようですから、帰ります。
男２ あ、ごめんなさい、冗談ですよ。
女１ 座ったら。
女２ みなさん、お知り合いなんですか。
男２ 何で？
女２ なんか、話が合うから。
男３ ここで知り合ったんだ。
女２ ふーん……
女１ 何かを共有したから、だから、こんなに親しくできるんじゃない。
女２ え？
男２ なに、そんなややこしいことじゃないんですよ。みんな、ただ、ここに血を取りに来てるってことです。
女１ そうかしら。
男３ 違うんですか。
女１ 違うと思うわ、だってまだ誰も血採ってないじゃない。
男２ 別に大したことじゃない…よくあることですよ。
女１ そうかしら……そうは思えないけど。
男３ なんですか、さっきから。
女１ 座ったら。（女２に）
男３ 座れよ。
女２ 命令しないでよ。
女１ ずいぶん親しそうじゃない。
女２ 違います、そんなんじゃありません。
男３ なんでもないんです。
女２ なんでもない？ どういうことよ……
女１ （ニヤニヤして）ほらほら、やっぱり……
男２ （ニヤニヤして）あなた、ほんとに血採りに来たの？
女２ あ、いや、はい。
男２ そう……今日はないよ、献血。
女２ そうですか。
男３ いいじゃないですか、ここでそんなこと言わなくたって。
男２ そんなこと？
男３ だから、折角献血に来た人に、今日は献血はないよだなんて。
男２ だって、ないじゃない。
男３ まだ分からないじゃないですか。それに、献血がないんなら、どうしてあなたはここにいるんですか。
男２ 私はどちらでもいいんですよ。献血がなくたって、人がいさえすればいいんだから。
男３ どういうことです？
男２ あんたも面倒くさい人だね、どうだっていいじゃない。こっちは検査用の血だって採ってるんだから、あんたにとやかく言われることはないよ。
男３ とやかくなんて言ってないじゃないですか。あなたが変なこと言うから、ちょっと聞いただけじゃないですか。
女２ やめなさいよ、もういいから。
女１ （なだめるように）あなたが言ってたミカン、あるといいですね。食べたくなってきた。
男２ そうそう、ミカン、おかしいなあ。
男３ くだらん、なに下らないこと言ってる。
女２ やめなさいよ。
男３ 何がミカンだ、これから血を採ろうってときに。
男２ おいおい、失礼じゃないか、何が悪いってんだ。
女２ すみません、この人、すぐ、こうなっちゃって。
男３ ミカンなんて、どうでもいいんだ。大事なのは血を採ることじゃないか。戦うことじゃないか。
女１ だから、あなたは入隊するの？ 戦うことがそんなに大事？
男３ 他に何がある、何があるってんだ。食べるものも、着るものも、なにも不自由しない。
女１ 子どもなのね。
男３ なに！
女２ よしなさい、あなたも、もうこれ以上……
男３ 大事な話をしてるんじゃないか。
女１ 変な話ね。
男２ どういうことだい。
女１ あたし達よりずっと若いこの人達が、あたし達よりずっと今のこと考えてる。変な話だと思わない。自分の血を見るのが怖いっていうこのお坊ちゃんが……
男２ 冷めてるからね、俺達は。
女１ そうね、やっぱり冷めてるのね。
男２ 女も追っかけなくなったし。
女１ あたしだって、骨拾いにアルゼンチンに行ったりしないわ。
男２ 冷めてるね。
男３ 何を言ってる、何を言ってる？
男２ いいから、落ち着いて。
男３ 独り言です。
男２ わかったから、ね。
男３ すいません、取り乱して。
男２ 慣れてるよ……いっつもこうなの？
女２ ええ、まあ。
男２ 大変だね、あんたも。
その時上手奥から男１の絶叫
男１入って来て
男２ どうしたの？
男１ 女房が…女房が…
男２ やっぱり。
男３ ○どういうことですか。
女２ ○あたし帰ります。
男３ あなたはここにいて下さい。
女２ ○○なによ。
男２ ○○何ね、この人（女１）がね、坂の下の献血ルームに行ったんだって、そしたら今日はやってないって。
男１ うるさいうるさいうるさいうるさい
男３ なに、どういうこと。
女１ 逃げられたのよ。
男１ 誰だお前、逃げられたって、いい加減なこと言うな。
女２ あたし帰る。
男３ ○○○ちょっと待ってよ。
男１ ○○○待て、誰だお前。
男２ おいおい、とにかく座って、落ち着いて。
男１ （泣き出す）
男３ 座って下さい。
男１ （泣き喚く）ハワイが、……ハワイが……
男２ （男３に）ほっときなさいよ、落ち着くまで。
男３ はあ。
男２ あなた、あなたですよ、座ったら、疲れたでしょう、突然こんなことで。
女２ あたしですか。
男２ ここ空いてますよ。
男３ 僕が、立ってますから。
男２ そうね。
女１ あら、いいわよ、あたしちょっと出かけてきますから。お取り込みのようだし。……今日土曜でしたよね。
男３ はい。
女１ ちょっと出てきます。
男２ 献血は？
女１ しますよそりゃあ、でも、当分なさそうじゃないですか。じゃあ。（去る）
一時しんと静まり返って
男１ 誰だあの女、図々しい。
男２ なんだって？
男１ 初めてあった女に、「逃げられたのよ」だと……どういうことだ。
男２ 俺もだしな、まあいいじゃねえか。
男１ 何が言いたい！
男２ あの人もそうなんだよ。
男１ え？
男２ そういうことさ。
男１ …………
男２ 死んだんだってさ、アルゼンチンで……バカな話だよな。
男３ 何がバカなんですか、立派な話じゃないですか。
男２ おっと、今度は君の番だったね、いや、そういうつもりじゃないんだ、男と女の、ほら、兵隊だからとかなんとかってのは、この際関係ないんだ。
男３ 何が関係ないんです。
男１ うるさいんだよ、がたがたがたがた、そんなことどうでもいいんだよ。
男３ ○どうでもいいってどういうことだ！
女２ ○（少し遅れて）やめなさいって！ ……あのー……
男１ なに！
女２ みなさん、どうかしたんですか。
男２ どうかって、何が。
女２ ここは献血するとこですよね。
男１ 何が言いたいんだ。
女２ じゃあ、何で、逃げられたとか、そういうこと、関係あるんですか。
男２ いないんですよ。
女２ え？
男２ 誰もいないんです…中に…要するに、みんな逃げられちゃってるんです、今日という日は。
女２ え？
男３ 僕は逃げられてませんよ。
男２ 君は自分が逃げてるんだろう……それともこれから何か他にあるんじゃない？
男３ 僕はちゃんと捕まえましたから。
男２ はー、そういうこと、それはどうも。
男１ なんだ、君の、これか。
男３ ええ、まあ……
女２ ちょっと勝手なこと言わないで。
男２ あれあれ、話、違うんじゃない？
男３ いいんです、口出ししないで下さい。
男２ 逃げられるよ、今日という日は、とことん……
男３ ほっといて下さい、あなたは、あなたは何にも逃げられてないじゃないですか。
男１ 女房…
男２ 別に隠すことでもないしな。
男３ 逃げられたんですか、あなたも。
男２ 今日じゃないけどね、もう、ちょっと前の話だけど。
男３ 僕も、逃げられるんですか。
男２ 現に、看護婦さんにも先生にも逃げられてますからね、彼女、ちゃんと捕まえておくんだね。
女２ 何の話？ ねえちょっと！
男２ どこ行くの？
男１ ……
男３ トイレですか。
男１ ……
男２ ちょっと……
男１ ちょっと……
男３ 具合でも悪いんでしょうか。
男２ 逃げられたばかりだからね、ほっときましょうよ……あなたも献血ですか。
女２ ええ、でもいいんです、この人がいるなんて思わなかったんで。
男２ 穏やかじゃないね。
男３ そうですか。
女２ そうよ。
男２ 座ったら、お茶、ありますよ。ちょっと薄いんですけどね、飲みますか、お茶。
女２ いえ、ああ、自分でやりますから。
上手奧から男１の大きな泣き声
男３ やってますね。
男２ ま、思いっきり泣かせてあげましょう、何もかもパーになったんだから。
男１の絶叫
男３ 大丈夫でしょうか。
男２ あいつは泣くとすぐ切り替わるんですよ。
男３ 親しいんですか？
男２ 幼なじみですよ、仲は悪いんですが…
女２ あたし、帰る。
男３ ちょっと待ってよ、話したいと思ってたところなんだ、ちょうどいい。
女２ 何がちょうどいいよ、勝手なんだから。
男２ 穏やかじゃないね。
女２ 失礼ですけど、あなた何してる人ですか。
男２ 公務員ですけど。
女２ そう……この人あなたに何か言いましたか。
男２ 何かって？
男３ よせよ。
男２ 言いましたよ。
女２ ……
男２ 献血が怖いって話……自分の血を見るのが怖いって。
女２ くくくくくくくくくく（笑う）
男３ なにがおかしい！
女２ ハハハハハはハハハは（激しく笑う）
男３ やめろ、笑うな！
女２ だって、入隊を志願する人が、血が怖いって……お笑いじゃない。
男３ それとこれとは違う。
女２ どう違うのよ。
男３ 僕は別に血を見るために志願するんじゃない。
女２ でも結果としてはそういうことじゃないの。
男３ 違う、違う、そうじゃない。
女２ いっつもこうなんです。
男２ はあ。
女２ 突然入隊するって、……その前の日に、結婚しようって……もう、無茶苦茶なんです。
男２ はあ……
男３ …………
男２ 確かに無茶苦茶だね。
男３ はい……
女２ あたし帰ります。
男２ 献血は、どうするの。
女２ やってないんでしょう……あなたがそう言ったんじゃないですか。
男２ あのときはほら、ちょっと取り込んでたから……まだわかりませんよ、私なんか、下で血を採られてるんですから、見ますか？ （腕をまくろうとして）
女２ 結構です。
男２ そ。
女２ ……
男３ 後で電話する。
男２ それがいい。
男３ あなたは黙ってて下さい。
男２ あっそ。
女２ （突然去る）
女２ 戻ってきた女１とぶつかりそうになる。
出ていく女２
追う男３
女１ 何か？
男２ やっぱり逃げられたみたいです、彼も。
女１ そういうこと……
男２ 買い物ですか。
女１ ええ……まだ始まらないんですか……電話してみなくていいですか。
男２ 困りますよねえ、まあ、私はいつでもいいんですが、ほら、検査用の血を採ってますからね、もったいないでしょう。
女１ ええ、まあ……あの人は？
男２ え？女１ あの、面倒くさい人です。
男２ あ、そうだ、忘れてた、下で、泣いてませんでしたか？
女１ 泣く？ 誰が？
男２ ちょっと見てきます。
女１ ちょ、ちょっと……
男２出て行く
女１ 男２の鞄を開けて、銃を取り出し、胸元にしまう。
男１がその光景を見ている。女１は気づかない。
男１ あんた、何してる？
女１ …………
見合う二人
近づく男１、後ずさる女１
男１ 女１につかみかかり、抱き寄せようとする。抗う女１
男１女１を押し倒し、顔を近づける。
女１がやっとの思いで、男１に銃口を向ける
男１ はははははは、弾が入ってねえよ……よこせよ。
男１、女１に覆い被さる。力を抜く女１
男２戻ってくる
男２ ……何やってる！
男１ 大事なもの置いて行くからだよ。
男２ あんた……
女１ ごめんなさい、ちょっと、うちの製品かと思って、ちょっと。
男２ うちのって、まさかあんたの会社、武器製造？
男１ ……
女１ ええ、まあ。
男２ そう、で、どう？
女１ 違いました、うちの会社も見習わないと。
男２ （取り上げて）よくできてるでしょ……あんたの会社…
女１ まだ小さいの。政府の許可を受けてまだ間もないから、試作品の段階をやっと終わったところ。
男２ ケーエスパブリック？
女１ よくご存じね。
男２ 商売ですから。
女１ 国が採用してくれないと、うちの会社も危ないんです。
男２ 何でまたそんな小規模な資産で、武器製造なんか。
女１ 見返りがあるでしょう？ 特にこれからは需要が増えるし。
男２ 個人向けの供給だけでは会社はやっていけませんよ。特にあなたのとこみたいな小規模経営では……
女１ ええ、社長の道楽も入ってますから、まあ、いいんです。
男２ ま、犯罪が増えすぎましたからね、免許のある人は、どんどん銃を持たないと、ナイフに対抗できませんから。
男１ あなた、免許持ってるの？
女１ ええ、一応。
男２ どう、やすくしとくよ。
女１ 他社の銃なんか持ってたら、それこそ大変。
男２ 性能悪いんでしょ？
女１ 少なくともあなたが持ってるのよりはね。
男２ だからいいんじゃない、やすくしとくって。
女１ あなた、なに？（男２に）
男１ 銃の密売人。正式には公的密売人ってとこか？
男２ 人聞きの悪いこと言うなよ、政府の許可もらってんだから。
男１ どうせリベートもらってんだろ、政府御用達の会社、いくつあるんだい？
男２ 俺一人ちまちま売り歩いたからって、どうということはないよ。
男１ そうかな、このやり方が一番の市場だって噂だぜ……まあ、流行の献血ルームに目を付け立ってのはあんたの眼力かもしんねえがな。
男２ 誉めていただいて恐縮です、偵察用に、どう、一丁……
女１ やめとくわ。
男１ あれー銃が欲しかったんじゃないのかい？
若干の間
女１ 突然男１をひっぱたく
男１ ううっ
女１ さっきの仕返し。
男１ 泥棒はお前じゃないか。
女１ あたしを押し倒そうとしたわ。
男２ ほ、困ったやつだね。
男１ お前が銃なんか置きっぱなしにするから。
男２ 他人のせいはないんじゃない？
男１ ふん……
間
男２ どうすんの？ これから……
男１ 俺はあきらめてない。
男２ 嫁さん探すのか。
男１ ああ。
男２ 自分の献血はどうする、今日は……ないぜ。
男１ 何とかするさ。
男２ なんとかって？
男１ なんとかはなんとかだよ。
男２ 論理的じゃないねえ。
男１ いくらだ。
男２ 何だよ急に。
男１ 俺は論理的じゃないんだよ。
男２ まさしく……買うのか？
男１ もの次第ではな。
男２ これだ。
男１ 殺せるのか。
男２ 当たり前だ……まあ、腕次第って処もあるが。
男１ 至近距離なら俺でも大丈夫そうだ。
男２ 殺すのか。
男１ 何を言ってる、襲われるときは至近距離だろ、いつだって。
男２ まあ、そうだ。
男１ 弾は。
男２ ここにはない……手続きしてからだ、申告しなきゃない。
男１ 面倒だな、何とかならないか、俺の頼みだ。
男２ 何で俺がお前に頼まれて何とかしなきゃならない……義理はないよ。
男１ 今欲しいんだ、ハワイ行きが決まれば、妬む奴が多いからな。
男２ おいおい、ハワイじゃ銃は使えないぜ、それくらいわかってるだろう。
男１ 売るのか、売らねえのか。
男２ わかった、これに、サインしろ。
男１ ああ…………どこ行く？
男２ 十五分で戻る。
男１ ああ……
女１ 待って、あたしも……
男１ もう気が済んだだろ、何もしないよ。
男２ 余計なことはするな、その銃は国が管理してるんだ。
男１ いいから早く行けよ。
男２去る
男１と女１だけが残り、不穏な空気
女１ こっち来ないで。
男１ 何もしないよ……銃、持ってるのか？
女１ ないわよ、あるのは免許だけ。
男１ いい度胸してるぜ、人の鞄まで開けてさ。
女１ 商売だもの、ちょっと魔が差しただけ。
男１ なあ、俺と一緒に、ハワイ行かねえか。
女１ 何、急に。
男１ 本気なんだ。
女１ ばかばかしい。
男１ 夢だったんだ、あいつとハワイでのんびり暮らして、子ども育てて、日光浴して、サーフィンのって、ナイフも銃もない生活……。今日で、実現するはずだったのに、こんなことになっちまった。
女１ あなた、殺すつもりね、奥さん。
男１ そんなことするかい、あんな奴もうどうでもいいんだ、裏切りやがって……
女１ ポイント、足りないじゃない、ハワイは無理よ、そういうとこはシビアなんだから、この国は。
男１ 何とかするさ。
女１ 無理よ。
男１ あんた何で献血なんかするんだい？
女１ 会社の都合、しょうがないの。
男１ やめちまえよ、そんな会社、どうせやばいもん作ってんだろ？
女１ 何その言い方、勝手なことばっかり。
男１ ハワイ行きたくないのか。
女１ ハワイは、行きたいけど、あなたとはいやよ、それに移住しようとは思わない。
男１ すべて順調だったのに……
女１ ははははははは
男１ 何だ！
女１ そう思いこんでただけじゃないの。
男１ ……
女１ だから奥さんの気持ちにも気づかなかったのよ……愚かね。
男１ 何が言いたい。
女１ こんな実弾がいつ飛んでくるかわからないような時代に、大人が護身用に銃を持つ時代に、順調なんてことがあるわけないじゃないの。男ってのは、いっつもそう……勝手なことばっかり……
女１の携帯が鳴る
女１ もしもし……誰？ え？ どうして、何であなたが……なあに、…え？…………はい、あなたにって……さっきの、銃売ってる男。
男１ もしもし、ああ、ああ、そう、百発でいい……うん……
男１ 電話を女１に返して
女１ なあに？
男１ なんでもない、さっきの話、考えといてよ。
女１ なあに、冗談じゃなかったの。
男１ 真剣なんだ……
男２入ってくる
男２ どうも。
男１ ずいぶん早いじゃない。
男２ 下から電話した。
男１ 下って、そこの…
男２ そう、公衆電話。
男１ バカじゃないの。
男２ ちょっと本当にかかるかなって。
女１ 失礼ね、番号控えたのね。
男２ あ…すみません、仕事の都合でコレクションしようと思って……あなたのだって気づいたのは、コレクションしてからですよ。、信じて下さい。
女１ もういいわよ、二度と電話しないで、あたし帰ります、ひどい日だわ。
男２ 怒ったんですか。
女１ 怒ってなんかいません、帰ります……
男２ あれ、献血はどうするんです、再開しますよ、まもなく。
男１ ほんとか。
男２ ああ、センターに電話してみた。
男１ そしたら？
男２ 予備のスタッフがこっちに向かってるって。
男１ 何があったの。
男２ 気づかなかったの？
男１ 何？
男２ 貧血で倒れたって言ってたでしょう、中で。
男１ ああ。
男２ 救急車で運ばれたんだってよ。
男１ そんなバカな、物音一つしなかったよ。
男２ 砲弾の音で聞こえなかったんでしょ、きっと。間違いないんだから、センターの人、佐々木さんて人が言ってるんだから。
男１ おかしいなあ。
男２ まあ、いいじゃない、そんなことより、これ、どう……あなたも、帰るなんて言わないで、銃、一緒に……・ね…
男１ 弾は？
男２ だめだよ弾は、申告してからだ。
男１ ちょっと込めてみるだけだよ……あるんだろ、貸せよ、買うのは俺なんだ。
男２ おい……
男１ 意外と軽いじゃないか。
男２ 引き金を引くと同時に重心が重くなる、だから決して的がぶれない、まあ、腕次第だがな。
男１ 的をはずさない、こうか…
男２ おい、よせよ……こんなところで実弾はまずい。
女１ あたしにも、見せて。
男２ どう…
女１ そうね、さすがね、あたしの処のとは、手触りからして、違う。
男２ そうだろう。
女１ 殺せるかしら……
男２ え？
女１ こうやって（自分のこめかみに銃身をつけて）
男１ おいよせ。（銃を取り上げて）
女１ 先ほど買ってきたらしい買い物袋から、ナイフを出す
男１ 何の真似だよ。
女１ おミカン買ってきたの。
男１ ミカン？
女１ この人がミカンミカンって言うから、どうしても食べたくなっちゃって。
男２ ああ、ミカンね。でもここにあるのは、ふつうのとは違うんだよ。
女１ しょうがないじゃない、ないんだから。
男２ 南米産の赤い奴なんだ。
女１ （ミカンを切りながら）皮が？
男２ 皮じゃなくて、中が……
女１ ふーん……食べる？
男１ 俺は…いい。
女１ ねえ……
男２ （ミカンを切りながら）ん？
女１ 今日って日はなんて日なのかしら。
男２ どういうこと？
女１ 変な日だと思わない。
男２ 何で？
女１ こんなところでミカン食べてる。
男２ 別に特別じゃないさ、いつもはあるんだし、ミカン、看護婦が切ってくれる、ただ……
女１ ただ？
男２ ミカンの色が違うだけ。
女１ どんな味なの？
男２ あまり甘くないんだけど、どうもやめられなくなるんだ、それでここに来てるのかも知れない。
女１ 赤いの？ ほんとに……
男２ ああ、赤い、ちょっと、変に、赤い。
女１ ふーん、残念ね。
男２ また来ればいいさ……ポイントためて、こいつみたいに……ハワイ……おい、何やってる。
男１ 安全装置は今はずした。
女１ 何なの？
男２ 冗談、よせよ。
男１ 冗談じゃないさ。
男２ おい……
男１ 手帳出せよ……献血手帳。
男２ え？
男１ お前のポイントを頂くんだよ。
男２ バカな、大変なことだぞ。
男１ 俺は地道にポイントをためてきたんだ。どれだけ国に貢献したか知れない。それがなんだ、国の施設がたかが貧血の一人ぐらいで、俺の苦労はいったいどうなるってんだ……答えろよ、ほら、答えろよ……
男２ 俺が申告してやるよ、お前のポイントを見れば、今日のことでどうのこうのってことはないよ。
男１ 気休め言うな。お前公務員のくせに、ずいぶん甘いんじゃねえか。そんなことがこの国で通用しないことぐらい、あんたが一番分かってんだろ。
男２ やめとけ……俺の手帳とったからって、お前はハワイには行けない。
男１ いいからよこせ。後のことはお前には関係ない。手帳よこしゃあいいんだよ。
男２ や、やめろ、撃つな。
女１ ねえ、ねえったら。
男１ うるせえ、おめえは黙ってろ。それとも俺と一緒にハワイ行くか？
女１ ……
男２ お前、どうかしてるぞ。
男１ だったら、何とかしろよ。この状況を何とかしろよ。何で今日は献血しないんだよ。何で坂の下は休みなんだよ。答えろよ。何でなんだよ。俺の、俺の夢は、夢は、どこ行ったんだよ。おい、何とかしろよ、俺の女房、連れて来いよ、ここに……ちきしょう……
女１ それ、渡して…
男１ ねえ、お願いだから……
男２ なあ…
女２ し！ あたしに……ねえ、それ、あたしに見せて……
銃を降ろす男１
銃をゆっくり取り上げる女１
男２ ふん、なんてことはねえじゃねえか。
男１ なんだと……
男２ だらしねえ、たかがハワイでよ……ハハ、ハハ…………
男１ なんだとこのやろう……
男２にくってかかる男１
銃ごと持って逃げようとする女１
男３が入ってきて、女１の銃を取り上げる。
男３は血塗れである。
気づかずにもみ合う男１と男２
男３ （絶叫して）あー！
全員が凍り付く。
男３が男１を撃ち殺す。
男３ ハワイ？
男３が男２を撃ち殺す。
男３ 犬……
男３が女１を撃ち殺す。男３ おぼっちゃん？
男３ 自分のこめかみに銃を当てる。
静寂
男３ いえ、独り言です……
男３ 銃の引き金を引く。頽れる男３
ものすごく長い間
看護婦 お待たせしました。どうもすみません、献血再開します。
やや長い間
皆立ち上がって
男２ いやあ、みなさん、迫真の演技でしたねえ。
男１ そうそう、特にあなた、最後、すごかったねえ。
女１ 本当、かっこよかったわよ。
男２ 芝居は楽しいですねえ。
女１ 本当ですね……これでずいぶん気が紛れました。
男３ 明日をも知れぬ命ですから、せめて……楽しまないとね。
男２ 本当だね…ははははははは
看護婦 これ、どうぞ。ちょっと切る暇がなかったんで、ご自由にどうぞ。
男２ 来た来た……
女１ これですか、例の……
男２ そう、ミカンミカン……
女１ 切りますね。
男２ お願いします。
男３ のど乾きましたよね。
男１ のど乾いたんなら、お茶があるよ。
男３ だって薄いじゃないですか、あのお茶。
男２ 君もわかってきたね、ようやくここが、ははははは。
男１ あれ？
男２ 赤くない。
男３ 何だ、ふつうのミカンじゃないですか。
男２ おかしいなあ……看護婦さん、看護婦さーん
看護婦 何ですか、今お呼びしますから。
男２ これ、違うよ、いつものと。
看護婦 そうですか、いつもと同じ処から買ったんですよ。
女１ でも、おいしそう。いいじゃないですか、これで…
男２ まあ、いいんですけどね……変だなあ。
看護婦 すみません。
男３ いつもと、そんなに違うんですか。
男２ ええ、いつもは…
女１ 赤いんですか。
男２ ええ、いつもは……
女１ 頂きましょう。
男２ ええ。
女１ 南米産でしたっけ。
男２ え？
女１ その、例の赤いミカン。
男２ ええ、確か。
女１ 酸っぱい……
男２ 酸っぱいですか……
男３ わかった！
男２ 何です？
男３ ミカン赤くないから…・・
男２ 何……
男３ 今日はまだだれも血採ってないからじゃないですか。
全員に一瞬の間
「まさか」などとひきつった笑いを交わしながら、ミカンを見る四人
静寂を押し破るようにミカンを貪り食う四人
ゆっくりと溶暗
ミカンを貪る声がいつまでも響き、針の動かない時計だけが暗闇に残る。 （了）
Copyright 1998 Hiroyuki Sugiuti.